目覚める前のカイジのような学生時代 -はじめに1-

こんにちは!浮遊会計士Rioです!

私は現在公認会計士として独立し、税理士業務も行いながらブログ・動画制作、セミナー講師(たまに作曲活動(小声))等を行っています。

我ながらいろいろなことをやっているなあ、と思うのですが、当たり前ながら最初はゼロから、短時間で工夫して勉強することで基礎を身に着け、様々な経験を経て知識を血肉化することで、いろいろなことに手を出せるようになりました。

ここで強調したいのは、これまで習得した知識はすべて「働きながら」勉強して身に付けた、ということです!

私は学生の時はほとんど何も勉強せず、本格的に勉強を開始したのは社会人になってからです。のちにも触れますが、学生時代は勉強の「必要性」が見えなかったので、まったく真剣になれませんでした。

しかし社会人になってから、急に資格試験の勉強に目覚め、様々な工夫を行い、成果を出せるようになりました。言うまでもなく働きながら勉強をするのは困難が伴います。仮に17時に退社できたとしても、心身ともに想像以上に疲れています。そこから予備校に通い、授業を受け、復習して、という生活を送ることはとてつもない重荷となります。私も最初はあまりのキツさに何度も勉強を中断しました(半年以上中断したこともあります)。しかし何とか工夫を凝らすうちに、少なくとも1日15分は勉強をやってみよう、という結論に至りました。15分であれば、確実に毎日行えるからです。それがすべての始まりでした。

私が勉強に目覚めたきっかけを記してみたいと思います。

勉強は好きですか?

私は大嫌いでした。

学生の頃は授業の内容に全く興味が持てず、ひたすらサボることだけ考える毎日。

そもそも集中力が50分(1コマ)も続きません。笑

大体学校や塾でいま勉強していることが、何に役立つか、まったくわかりませんでした。微分積分や紫式部に何の興味も持てません(かといって「これがやりたい!」という目標や夢も無かったのですが…)。

いやいや勉強して何とか大学生になっても勉強嫌いは変わらず、「こういった職業に就くために、こういった勉強がしたい!」という意識も特にないまま、ダラダラと毎日を過ごしていました。

かといって、海外放浪した、とか、音楽に打ち込んだ、とかそんなネタになるエピソードもないのです…。無気力に、本当に何も考えずバイトしたりサークルに行ったりする毎日。とてつもなく意識が低いというか、つまらない大学生でした。笑

なんとなくですが、当時は「勉強すること」「勉強できること」がかっこ悪い、という感覚すら持っていました。子供のころは知識もなく体当たりで行動することのほうが、「♪頭空っぽのほうが、夢積め込める~」的な、ワイルドな感じがしませんでしたか?少なくとも私は勉強することに、なぜかなんとなく恥ずかしいという思いがあり、理屈よりも感性で生きたい!というタイプに謎のあこがれもあり、少なくとも自分から勉強しようとはしませんでした。

が、すでに大学生活も半ばを過ぎるころ、うすうす気づきはじめました。すでに周りに圧倒的な差をつけられていると。周りの友人たちは試験前になると「やべー勉強していない」だのなんだの言いながらも資格試験の勉強をしたり留学をしたりと、着実にやりたいことに向けてステップアップしていました。一方私は相も変わらずダラダラとバイトしたり浪費したりと楽で安易な道ばかり選んでいました。

頭空っぽで夢積め込めるのは悟空のような天才だけだと、ようやく気付き始めたのです…

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