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初の論文試験は、ボーダーが51.5のところ、49で残念ながら不合格。租税法と管理会計に足を引っ張られました。
この年の論文不合格は、ある程度予期していたとはいえ、やはり残念でした。
この年の合格者数は過去最高で、今の3倍以上。この波に乗り切れなかったのは本当にがっかりでした。
とはいえ企業法が58で「科目合格」しているのは嬉しかったです。科目合格とは一定の高い点数(毎年55前後)を取ると今後2年その論文試験が不要となる制度であり、膨大なボリュームである企業法を今後2年受ける必要が無くなったのは、アドバンテージといえます。
よって今後は、財務会計論、管理会計論、監査論、租税法、経営学の5科目の論文対策をすることになります。
初の論文試験の結果が不合格と出たとき、さすがに、翌年の必勝を真剣に誓いました。
もう受験も6年目に突入。ベテランもいいところです。6年以上勉強したという人は、正直、後にもほとんど聞いたことがないです。
仕事はS部を離れ、現場の最前線である「支店」に配属されることになります。ここでの経験は後に非常に役立ちました。あとで詳しく触れたいと思います。
このあたりから、試験勉強がシャレではなくなってきました。
表現が難しいですが、今までは「俺は仕事しているから、落ちても仕方ないでしょ」といった、一種の甘えというか、逃げているようなずるいところがあったと思います。
落ちてもそれほど反省しなかったというか(もちろん気にしすぎる必要はないのですが)。
しかしさすがに勉強6年目。これまで費やした時間は膨大です。基本的にのんびりしている私も、投入した時間とコストに見合う成果を、そろそろ手にしなければいけないと感じていました。
さらにそろそろ20代を卒業するころ。何としても結果が欲しい。資格名を名刺に入れたい。これ、本当に渇望しました。たとえそれが最初は「日本公認会計士協会準会員」といった微妙なものであったとしても(合格後3年程度で「公認会計士」と名乗れます)。
さらに、上記の通り会計士受験業界は引き続き盛り上がっていましたが、世間では大きな問題が起こっていました。それは「リーマンショック」。これは米国大手金融機関の不祥事に端を発する問題で、後に世界的な不況を招いた大事件です。この問題により景気が急降下していきます。一般的に景気が悪化すると、監査法人業界もそれに引きずられます。当然ですね。監査法人の顧客は上場企業なのですから。そして監査法人の業績が悪くなると、試験の合格率やその後の就職率に大きな影響が出るのは明白です。これにより今後の見通しが徐々に怪しくなっていきました。これまでのようなバブルと言える状態が続くのか、疑問視され始めていた。つまり早く合格しなければならない。
上記の様々な理由から、勉強そのものが、「おちゃらけモード」から「ガチモード」に変質していきました。
ここに至り、本当に真剣に勉強に取り組むようになった、といえます。
何しろ短答合格と同時に企業法科目合格している。もうあと半分で合格、という解釈もおかしくない。
それが、逆にプレッシャーになってきました。これで今後2年間落ち続けたら目も当てられない(論文3連敗。いわゆる三振)。その恐怖が大きくなってきたのです。
勉強をしていて、こういった恐怖感を伴うプレッシャーを感じたのは初めてでした。まさにこれが国家資格の重み。大学入試等もこれほどではなかった。
繰り返しですが、これまで投入した時間と費用が膨大。そして若いとは言えない年齢になってきたことによる「結果が欲しい」という渇望。
勉強や試験に対する態度が変わった瞬間です。「成果」「結果」を本当に考えるようになった。
このあたりで、「必死に」考え出した勉強法が、私の今に至る勉強法につながっています。参考:
そんなプレッシャーもあり、「仕事しながら」勉強するのは大きな負担となるのは明白なので、仕事を辞めて、受験に専念しようか、という考えもなくはなかったです。
しかし悩んだ結果、私は仕事も続けることを選択しました。これは本当に難しい決断だった。
最大の理由は、「仕事が楽しいから」。これに尽きます。