二重人格のすすめ2

以前、「二重人格のすすめ」という記事を書きました。

いま、自分の事務所を運営したり小規模監査法人の役員をする中で、この「二重人格」の大切さを身を持って噛みしめております笑。

二重人格というと若干語弊がありますが、割といい表現だなとも思っています。

以前勤務した大手監査法人に特に顕著でしたが、職場には「淡々と」仕事をするタイプが多かったように思います。

「淡々と」仕事をする、というのはもちろん悪いことではありません。感情の波に流されず、どんなきついことがふってきても心乱れずきっちり仕事をする、ということは、安定的なパフォーマンスが期待できますし、そういったタイプは上司からの受けもいいと思います。

しかし、「淡々と仕事をしすぎる」というのは結構問題があると思っています。

それは、何事も機械的になり、下手したら思考停止に陥ってしまう、という危険です。

これが淡々と仕事をすることの怖いところです。自分にちょっとでも関係ないと思ったら無関心になったり、全体のマネジメントが機械的になったり、気が利かなかったり、前年と全く同じことを踏襲してしまい、全く同じように炎上したり、ということが起きてします。

特に最近のコロナ環境下、リモートワークが主流になりつつある中で、これまでと同じような感じで仕事をしてしまうと、仕事がまったく終わらない、ということが起きてしまいます。

かといって、淡々とではなく、常に改善を考え、思い入れたっぷりに仕事をするというのも、本当に難しいです。

なぜなら、組織のちょっとした理不尽や矛盾にいちいち引っかかってしまい、モチベーションが乱高下してしまうのです笑。私はこのタイプでしたが、本当にモチベのアップダウンが激しかったです。日々の業務を改善しようとすればするほど、こういった問題に引っかかり、これだけ改善案を出してがんばっているのに、なぜうまくいかないんだ(なぜ採用されないんだ)!とやる気が無くなってしまうのです。

そして結局「淡々と」仕事をしていたほうが、いちいちひっかからずに精神的にもいいのではないか、と思ったりもしました。

仕事は「淡々とするべきなのか」、それとも「思い入れたっぷりにやるべきなのか」という問題は、本当に悩みました笑。

そもそもこれは2者択一の問題なのか、という疑問もありますが…

やはり組織にいると、どうしても自分の思うようにいかないことが出てきます。それは仕方ありません。

しかし、自分が正しいと感じていて、それが組織全体のためになると相当程度自信があるのであれば、それはそう主張すべきだし、実践すべき、と考えます。

そのときに、多少の摩擦があったりして、モチベが上下するのは、私は仕方がない、と思っています。それは仕事だからです。

考えてみると、ニュース等で日本の企業社会はものすごく生産性が低いと言われています。そして私もまったく同意見です。

とにかく無駄が多い。組織の方針が見えない。情報が開示されていない。業務が標準化されていない。業務分析ができていない。去年炎上した反省が生かされておらず、今年もまた同じように炎上してしまう・・・

コロナ禍にあって、本当に、これまでのような働き方をしている場合ではないと思います。その意味で、やはり「淡々と」しすぎてはならず、自分が思う改善案をどんどんぶつけていかなければいけない。

それは間違いないと思っています。これにより生じる摩擦、ストレスもある程度は仕方ないのではないでしょうか。

しかし、そればかりではいけないのです。

それはあくまでも仕事モードであって、プライベートでは、完全にモードを切り替える必要があると思います。

仕事中の「カイゼン」モードを日常生活に持ち込んでしまうと、本当に病みそうになるのです。これが最近の私の悩みでした笑。

よってオフィスを一歩出ると、「無駄」大歓迎。「思考停止」大歓迎。他人に目くじらをたてない。怒らない。

これくらい両極端でいいと思います

結果的に、オフィスとプライベートで、別人格に見えてしまうかもしれません。しかしこの「仕事・プライベート二重人格方式」を意図的に行うことで、仕事もしっかりすることができ、ストレスが軽減できていると感じます。

もちろん仕事中も他人を責め立てるのではなく、どうすれば業務が改善できるのか考える、ということを主眼にすべきでしょう。人を主語にしてしまうと何もいいことはありません。

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